解毒される日常

遠くの星から眺める

österreich「無能」についての覚えがき

自分なりにösterreich、もとい高橋國光(以下、國光)作曲の「無能」について解釈してみました。

 

まだアニメカット版しかないので歌詞はちょっと不確定ではありますが、聞き取れたところだけでも備忘録を兼ねて書き捨てておきます。

全体としては、國光の自伝的で内省的な歌詞をハイスイノナサが歌い上げることで、儚く美しい作品に昇華させている、といった感じでしょうか。いうなれば、東京喰種(無印)の最終巻で、金木が有馬貴将に合間見える時に抱いた「どうして美しいものは生よりも死を連想させるんだろう…」という感情に近いものかもしれません。
 
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まず、出だしの歌詞だが、胎内回帰願望について語られ度肝を抜かれた。
夢を見たんだよ 生まれた時のこと
美しく生きてね 子宮の街
僕ら手叩いて笑ったんだ

國光は自身のブログで子宮回帰願望(胎内回帰願望と同じ意)について言及している。"僕たちに明日はない"の歌詞に関する当時の國光自身の見解として、以下のように述べられる。

子宮回帰願望を隠蔽するための過剰な自己犠牲と差異の意識、は一切お互いのためにならならず、生活は断片に支配されていく。得てして自己犠牲は何も生まない。が、プラスチックで補強された理解でも欲望に打ち勝つことは出来ないのだ。(…)
子宮回帰願望というのは、文字通り「母親のお腹の中にいた時点まで戻りたい」という願望のことであり、心理学的には防衛機制の一つである「退行」に含まれるのだろう。
この願望について、多くは「自立することに対する拒絶」という観点で語られることが多いようである。*1
本気で子宮に帰りたいと思いつめ、現実的には無理だと分かっていても、その考えが自身の思考を侵食し、精神の自立や分離を極度に恐れるようになる。この時は、死に物狂いで「何か」との一体感を求めていて、その一体感とは子宮の中にいる頃の記憶であり、実現するはずのないものである。
ゆえに何処かで限界を迎え、自身はバラバラになる。身動きが取れなくなる。
精神的な疾患は、複合的な事象が絡み合って生じるものなので、何が根本原因であるか、というのは明言できないが、おそらく國光のなかでこの「子宮回帰願望」が、彼が音楽から一時的に離れることになった原因の一つなのかもしれない。
歌詞に戻ると、彼の音楽から離れた時の状況を自伝的に語っているように見える。
抱きしめられたくなった 一人じゃもう歩けなくなった
また、「無能」のCMにおける語りも印象的である(ナレーションは國光自身?)。
愛しいおまえに言う 美しく生きてと
愛しいおまえに言う 強くはならないでと
愛しいおまえの その無能

ここでいう「おまえ」とは國光自身のこととみて良いだろう。自身を相対的に見た上で、その主体(國光自身)はおまえ(國光自身)を愛しているのである。歌詞中で「抱きしめられたくなった」と歌われるのは、その自己愛からくるものだろう。

「子宮回帰願望」とその願望を肯定する「自己愛」、この二つが生成した時点で、それは破滅へと向かう。この変遷の過程が、曲中でこのように語られているのではないか。
分かりあっているんだよ 玩具に愛を捧げて
触れられざる子ども達を 簡単な言葉で壊した
娼婦が火を放った 遠くの街で誰かが死んだよ

 これが無理筋であるのは言うまでもない。「娼婦」という言葉はこれまでthe cabsで頻繁に登場するので、その文脈について(文脈の有無はさておき)考える余地があるし、ほとんど僕の想像に近い。この歌詞通り、娼婦が火を放つ場面は、「一番はじめの出来事」の歌詞カード中のサイドストーリー的な所に登場する。

「無能」というタイトルがなぜつけられたかについては、再び曲を作り始めた時点での國光の「才能」に関する言及から分かるかもしれない。
(・・・)こうしてまた音楽を作ってみると、あの当時戦っていた自分のなかの「才能」という化け物とまた対峙させられてしまうものです。頭を抱えながら自分の才能のなさに震えたり、いや自分は天才だと奮い立たせたり、それはもうめまぐるしく変わる表情のなかで、いつも傍らに経って嘲り笑っていたのは「才能」という化け物でした。そしてまた、そいつは姿を見せ、変わらぬ顔でまた僕を見下していました。それは一瞬の邂逅でしたが、不思議と居心地の良いような気もしたのです。
「才能」に対置するアンチテーゼとして「無能」がある。それは自己憐憫とかそういうポーズなどではなく、まさしく自身が「無能」であることの表明であり、この曲自体が凄まじく自伝的なものなのであろう、と思う。
 
österreich「無能」のCDの発売日は3月4日、そのCDの歌詞カードにも一編の物語が綴られているのだろうか。楽曲も含め、とても楽しみです。
 
3/6 追記:ようやくCDを買えました。案の定歌詞が若干違ったので訂正しておきます。
僕ら手叩いて笑ったんだ→僕ら手を叩いて笑ったんだ
分かりあっているんだよ→笑いあっていたんだよ
簡単な言葉で壊した→簡単な言葉で壊したい!
一編の物語を予想していたけど、断片的なイメージでコラージュされた散文詩のような体裁でしたね。ここまで思ったこと・感じたことを直截的に描写できるのは、やはりすごいなと思う。歌詞のラスト、
狂おしいほど聴こえるだろう? いきろ、と
あまりにも力強い生の訴えかけですよね。この呼びかけには転生の気配を感じました、死んでいく自分が新しく生れ出る自分に向かってそう願っているような。また、カップリングの二曲もとても素晴らしかった。
 
なにやら多くの方に僕のこの雑なエントリーを読んでもらっているみたいで嬉しい限りです。解釈やどう感じるのかは人それぞれだと思います、コメントあるいは罵倒でも全然構いませんので、何か思うところがあればよろしくお願いします。